Miyacology

ソフトマター研究の知見をアルツハイマー病の解明に役立てる

栗田 玲 教授

Kurita Rei
理学部 物理学科

東京大学大学院理工学系研究科物理工学専攻博士課程修了。博士(工学)。日本学術振興会海外特別研究員(エモリー大学)や東京大学生産技術研究所特任助教などを経て、2013年に首都大学東京理学部物理学科准教授。2020年4月より現職。専門はソフトマター、非平衡物理学。

学生の興味・関心がきっかけとなり医学分野へアプローチ

 私の研究室では、砂や泡、液晶など、柔らかい性質を持つ「ソフトマター」を物理学の見地から研究しています。日常的に使用しているものの実は原理がよくわかっていない現象や、応用的な経験則に基づいて使用されている物質など、興味深い現象や物質があれば対象を限定せずに研究していきたいと考えています。例えば、泡で油汚れを落とす効率を上げる場合に、メーカーなどの研究開発の現場では、界面活性剤の合成や混合を試行錯誤します。私の研究室では油汚れを吸収する原理を明らかにし、そこから効率アップを図る研究を進めていくのです。

 近年の研究で特徴的な動向といえば、医学分野へのアプローチです。医学界ではタンパク質のミクロな働きに着目する研究が広く行われていますが、私が物理学の立場から研究してきた「相分離」はタンパク質の研究にも役立ちます。相分離は1970年台から80年台にかけて、物理学分野で盛んに研究されたテーマ。当時、細胞内での現象が研究対象ではなかったものの、さまざまな理論が確立されています。細胞内はタンパク質の種類も多く、相互作用が複雑なため、そのまま現状の理論が使えるわけではありません。細胞内で起きていることをしっかり捉えて、再構築していく必要があります。そこで、医学や生物学の研究者とタイアップし、医学的な知見、生化学的な知見、物理学的な知見を合わせながら、進めていく必要があります。学医学的視点で見た時、ミクロな動きに限らず、多様な時間や長さのスケール感で現象を考察する必要がありますが、これはソフトマター研究が得意とするところでもあります。どの大きさの段階での分析が現象を理解するために最適であるかという「階層性」は、物理学で用いてきた概念であり、階層性を意識した研究の有用性は医学分野でも同様なのです。現在は相分離の研究者はかつてほど多くありませんが、私がその少ない専門家の一人として医学分野にアプローチする以上は、相分離や階層性に関する物理学のバックグラウンドを存分に活かしたいと考えています。

 相分離の知見を医学領域に応用させようとしたきっかけは、研究室の学生の興味・関心です。ただ、私を含め、例えばタンパク質を抽出する医学や生物学的な手法については何の知識もなく、ゼロからのスタート。多分野との共同研究をとおして新たな技術や知見を身につけながら、「バイオソフトマターメディカル研究会」、通称BiSM(バイセム)と呼ぶ研究チームを立ち上げるに至りました。都立大を中心に、東京都医学総合研究所や東京都健康長寿医療センターのほか他大学の研究者とも連携しており、今後は東京都にも協力・支援を打診しながら活動していきたいと考えています。

物理を活かし、物理を捨てる

 医学分野にアプローチすることになり、私は医学的な観点で執筆された相分離に関する論文に目をとおしたのですが、物理学の観点からすると多少の補足説明をしたくなる記述が多いことが気になりました。例えば、相分離メカニズムを説明する内容では、実際の条件を満たしていないケースも見受けられました。

 物理学では物事を単純化して理解しようと試みる傾向があり、有効なケースもあるのですが、人体は極めて複雑なもの。物理学の手法や尺度に固執すれば、本気で病気に向き合おうとする医学的な研究は全く進まないと思っています。物理学のバックグラウンドは活かすものの、物理学という枠組みを取り払い、謙虚に他分野と連携することが重要と考えています。現在、医学や薬学、生化学の研究者たちと一緒に、生命現象のメカニズムを解き明かそうと奮闘し、少しずつ成果が出始めています。

着眼点も知見も異なる分野との連携が、新たな可能性を切り拓く

 現在、具体的な研究対象としているのはアルツハイマー病です。専門的には、アミロイドβが蓄積され、その後にタウタンパク質の蓄積と異常凝集が進むことで、神経細胞が破壊されて発症すると考えられています。ただし、アミロイドβとタウタンパク質は、どちらも相分離するものの、相分離は単に集まって濃くなることであり、異常凝集は結合してしまう状態のこと。物理学では相分離と異常凝集は別の現象であって、異常凝集しなければ濃くなるだけです。濃くなるからといって異常凝集するわけでもなく、悪影響は起きないのですが、異常凝集すると解けずに大きくなり、神経細胞を破壊してしまうのです。同じ物質で相分離と異常凝集が起こるからといって、その間の因果関係については、より慎重な考察が必要です。因果関係の有無によって、異常凝集メカニズムへの解明アプローチが変わりますので、まず因果関係から調べたいと思っています。さらには、アルツハイマー病もパーキンソン病も加齢に伴って発症しますので、老化によって体内の何がどう変化して異常凝集が促進されるのかを明らかにしたいと考えています。将来的には、異常凝集のメカニズムを解明し、アルツハイマーの発症を回避する方法を提案したいと考えています。また、アルツハイマー病にとどまることなく、パーキンソン病をはじめとして、タンパク質の異常凝集が関わっている病気の予防に貢献することが理想です。

研究を重ねれば重ねるほど、他分野との融合が互いに必要

 物理学を駆使して医学にアプローチすることが目新しいためか、はたまた親族が認知症を患うケースが少なくないことの表れか、私の研究室を選んだ学生の多くが、アルツハイマーの研究に関わりたいと話します。

 また、近年はコンピューターの性能が飛躍的に向上したことで、数理モデルを用いたシミュレーションもしやすくなっています。その結果を受けて、ショウジョウバエやマウスを用いた検証につなげることも可能。疑似的な老化を起こしてアルツハイマーの発症につながるか否かを検証することもできます。幅広い分野の知識・技術を結集させる必要があるため、かなりのモチベーションが求められますが、興味を持った学生にはぜひチャレンジしてもらいたいですね。

【冊子掲載マンガ】ミヤコロンの推しラボvol.6