Miyacology

日々の活力と満足感を育む「作業の力」 意味づけされた作業療法が人生を豊かにする

健康福祉学部のボンジェ・ペイター教授の専門は、高齢者や障がい者が自分らしい生活を取り戻すための作業療法や作業科学。その基盤となる知識体系や実践上の注意点などをお聞きしました。

ボンジェ・ペイター 教授

BONTJE Peter

健康福祉学部 作業療法学科

スウェーデン・カロリンスカ医科大学にて医学博士号取得。2012年に准教授として首都大学東京健康福祉学部に着任し、2016年より現職。専門は、身体障がい者・高齢者の作業療法、作業科学、InterprofessionalEducation (チーム医療の教育)。日本、オランダ、イギリスの3カ国で作業療法士資格を保有している。


改めて馴染みのある生活を目指すプロセスである作業療法やリハビリテーションでは、「できないこと」の克服に執着し過ぎることなく、「できること」を大切にするスタンスが重要です。再び楽しく生活するためのリハビリではありますが、リハビリそのものにやりがいや楽しさを感じられることが理想です。


分野横断的に知見を結集させることで作業療法は作業科学へと発展してきた

 私はこれまで、研究者として作業療法に携わりながら、作業療法士としてのピアサポート実務にも従事してきました。そして、約2年半前には私自身が脳卒中を患って片麻痺となったため、作業療法を受ける当事者としての入院やリハビリテーションの経験も踏まえて、研究成果を社会に還元したいと考えています。当事者として感じたことは、多職種の医療従事者でチームが構成されるにても、各場面、各スタッフの専門性に応じたサポートにならざるを得ないということ。患者の心身についてトータルで把握して対応する必要性を感じました。

 例えば、医学の視点では血圧やコレステロール値などをピンポイントで測定しますが、ピンポイントである以上、得られる所見は限定的になります。医学の知識は大切ですが、そもそも人々の健康状態を決定する要因には、遺伝や医療、環境のほか、日常生活が挙げられます。しかも、人々の生活は人それぞれ。患者それぞれがどのような価値観で生活していきたいのかまで把握した上での作業療法が求められているのです。

【Web限定!】“患者”である私に対して、医療チームが多角的にサポートしてくれたことには感謝しかないものの、当事者になって初めて認識できたことは少なくありませんでした。例えば、入院中に私が「復職したい」という目標を伝えると、医師からは「脳には障害が見られないので大丈夫ではないか」との説明を受けました。ただし、身体の機能という点では確かにそうだとしても、心の中にはどうしても不安が残るもの。身体機能の回復を目指すリハビリテーションは“体”が対象ですが、“心”のリハビリテーションも不可欠であると痛感しました。日本の作業療法は医学的な考えが強いという実情がありますが、医学の対象である“患者”としてではなく、それぞれの価値観やライフスタイルのもと、地域社会で生活を送る主体者として接する重要性を感じたのです。

 私は障がい者へのインタビューに基づく質的研究もしていますが、医学的な視点のみならず、心理学や社会学、人類学、民俗学的な視点も不可欠。こうした幅広い学問分野の方法論や知識をベースとして体系化されてきたのが「作業科学」と呼ばれる学問分野です。

「日常生活活動」の意味合いを明確化し個々に適した作業療法に落とし込む

 作業科学は、作業療法から生まれた学問体系であり、「作業」とは、1日の中で行う「日常生活活動」を表します。作業療法におけるかつての知識基盤は、ほぼ医学に由来するものでしたが、必要なのは作業療法や作業そのものに関する知識基盤。作業科学の確立に向けては、心理学や生理学、運動科学などの知見も注ぎ込まれてきました。

 その上で私が重視するのは、日常生活活動に対して、人生における意味合いを与えることです。複数の被験者が1日を振り返り、その日の代表的な作業を活動日記にまとめるという院生が開発したプログラムでは、被験者1人ひとりにとって何が意義深く満足度が高い作業であるのか、またその作業にどのような意味や特徴があるかが見えてきました。大切なのは、リハビリテーションをこなせるか否かという尺度や、こなすための効率性ばかりを重視するのではなく、リハビリテーションや日常生活活動の意味合いを明確化すること。何らかの作業ができても満足感につながらないケースもあるため、個々の価値観に合った作業療法の実践をとおして、満足感の向上を促進することが肝心なのです。

【Web限定!】かつて私が担当していた患者に、ペグボード(※)を通じて身体的機能を改善させる訓練を行っていた方がいました。作業療法士である自分の目から見れば、訓練によってその患者の身体機能は改善していましたが、患者自身は「障がいと日々対決している」という意識が強く、作業を通じて健康を取り戻せているとは言い難い状態だったのです。ところが、作業の内容を「他の患者のための自助具製作」に変えたところ、その患者は時間を忘れるほど作業にのめりこみ、医療スタッフから「やる気や活力が増した」と評されるほどになりました。実はその患者は障がいを抱える前、「町の便利屋さん」として近所の人たちの家電修理などを頼まれており、その活動が喜びや生きがいにつながっていたのです。そのライフストーリーに合った「自助具作製」という作業によって自分を表現し、社会とつながり、周りから承認されたことで、この患者は生きる意欲を増していったわけです。このような効果を生み出す「作業の力」の研究は、一般の人にとっても、健康という概念をより身近に考える指針になると考えています。

 日本人は長らく働き過ぎが問題視されてきましたが、すべての人々において、日常生活において楽しみやリラックスの時間を確保することが大切です。また、人とつながり、社会とつながりながら、自己表現を行う機会づくりも健康のためには価値のあること。社会との接点を持ち、生きがいを感じられる人ほど寿命が長くなる傾向も見られます。さらには、日々の行動が習慣化されていれば、朝起きてから何をすべきか悩む必要もなく、エネルギーの節約になり、健康や幸福につながる作業に時間を使えますので、ルーチン・習慣も重要といえるでしょう。こうしたポイントを意識した日常生活活動は、筋肉と神経に刺激を与えることで身体機能の回復にも役立つため、日常生活活動そのものがリハビリテーションの手段となるのです。

(※)ペグボード:上肢や手指の機能向上を目的とした訓練でよく用いられる用具。ボードに開いた複数の穴に、様々な色や形のペグを差し入れる。

スタッフの対応ひとつで相手の気持ちは大きく変化する

 作業療法の対象が高齢者の場合は、日常生活活動をできるようにすることと同時に、日々の活力を高めることも重要です。身体機能の回復には努力も必要であり、その原動力、活力の向上が求められるのです。高齢者は認知機能が低下し、人生の目標や生きがいを見出せない場合もあるものの、どの程度の介助を希望し、どうすれば前向きな気持ちで生活できるのかを見極める必要があるでしょう。日本人は「他人に迷惑をかけたくない」と考えがちですが、周囲のサポートがなければ日常の行動は限定的になるため、対話の中で反応を見ながら、望ましいアプローチを進めていくべきだと考えます。

 なお、私が高齢者施設で食事シーンの観察とインタビュー調査を行ったところ、食事を丁寧に口に運んでくれるスタッフに対応された高齢者は、食事を「美味しかった」と振り返り、スタッフの対応がやや雑な印象を受けたケースでは「美味しくなかった」と話していました。高齢者を前向きにさせる必要があることを考えれば、作業療法に限らず、医療や福祉に携わる方には知っておいてほしい教訓だと考えています。