Miyacology

電気工学の知見を活かしまだ見ぬ治療技術を創造する

日本人の死因として最も多い「がん」。そのがん細胞を電気刺激を用いて除去する新たな治療技術の開発に挑み、線維症治療デバイスの開発にも尽力するシステムデザイン学部電子情報システム工学科の八木一平助教に、日々の研究内容をお聞きました。

八木 一平 助教

YAGI Ippei
システムデザイン学部 電子情報システム工学科

岩手大学工学部電気電子工学科、同大学院工学研究科電気電子工学専攻を経て、東京大学大学院新領域創成科学研究科先端エネルギー工学専攻博士課程修了。博士(科学)。GEヘルスケア・ジャパン(株)勤務後、2020年より現職。

電気電子工学から生体医工学へ。診断機器の開発から治療技術の開発へ

学部と修士課程でプラズマ工学を専攻し、ガス処理や酸化剤生成に非熱平衡プラズマを活用する技術を研究しました。また、非熱平衡プラズマの人体への効果にも興味を持ち、特に、皮膚の傷にプラズマを照射すると、早くきれいに治るプロセスに注目しました。この技術は、従来のプラズマ止血方法よりも侵襲性が低く、人体の自然治癒力を引き出す可能性があります。こうした背景から、生体医工学の分野への挑戦を決意しました。博士課程では、がん細胞を移植したマウスにプラズマを照射し、がん細胞の成長を抑制する効果を発見しました。博士課程修了後は医療機器メーカーに就職し、MRIや超音波診断装置の開発に従事。やりがいを感じる一方で、「診断のその先」にも関心が生まれました。そこで、在職中に大学病院の研修プログラムに参加しました。診断後の治療フェーズには多くの未解決問題があることを知り、治療技術の開発に取り組むため、基礎研究から始められる大学教員の道を選び、今に至ります。

人体の防御反応である「線維化」。その負の側面にアプローチ

臨床現場の実情として私がまず注目したのは、入院生活が長くなると、ストレッチなどで体を動かしていても、徐々に体の柔軟性が損なわれていくことです。要因は「線維化」。寝たきりや運動不足による関節の硬化や、切り傷や擦り傷が回復する過程で「瘢痕」になることも線維化が要因です。これは体を守るための防御反応であり、人体のあらゆるところで起こります。組織内でコラーゲンが過剰に蓄積することで、関節や臓器が動かなくなっていくのです。ただ、この積み重なったコラーゲン網をゼラチン状に柔らかくできれば、体の動きを取り戻すことができるのです。

線維化へのアプローチを考えるにあたっては、元々研究していた「プラズマ」に限らず様々な可能性を検討し、当初は超音波でコラーゲンを切ることを目指しました。ところが超音波を当てるだけでは、コラーゲンに隣接するほかの細胞組織の方が先に破壊されてしまい、最終的にコラーゲンが切れる頃には、周辺の組織が機能していない状態でした。この結果を受け、次に注目したのは「熱」を使ったアプローチです。

治療に伴う線維化を防ぐ温・冷のバランス

現在、特に注力しているのが、線維化によって食道が縮む「食道狭窄症」の研究です。発症までの主な経緯は、食道がんの切除手術によって食道内に傷ができ、それを治すために細胞が分泌するコラーゲンが線維化を起こすケースです。これに対し、食道にバルーンを入れて膨らませる治療方法がありますが、バルーンで拡張する際に食道の内壁が裂けて傷ができ、その部分で新たな線維化が進行する悪循環に陥りがち。バルーンでの拡張を100回以上繰り返す高齢者も珍しくありません。

このような悪循環を生まない食道狭窄症の治療法として考えたのが、バルーンにお湯を通して食道を温め、コラーゲンの螺旋構造を解く方法です。コラーゲンを柔らかいゼラチン状にした上で、バルーンで拡張するのです。ただし、拡張後にそのままバルーンを縮めるだけでは、食道の径も元に戻ってしまいますので、拡張状態で冷却するプロセスを加えました。冷却することでゼラチンが再度コラーゲン化して硬くなり、拡張した食道径を保持できると考えたのです。

狭くなった食道内を内視鏡で確認しながら挿入する食道拡張用バルーンカテーテル

【Web限定!】「コラーゲンを温めて柔らかくする」と聞くと、非常にシンプルに聞こえるかもしれませんが、本来、コラーゲンは温めて柔らかくするだけでは縮んでしまいます。私の研究の大きな特徴は、これまでの研究で達成できていなかった「コラーゲンを柔らかくし、拡張できる方法」を見出したこと。これは食道狭窄だけではなく、体中、特に管状の器官で起きる様々な線維化へのアプローチとして応用していけるのではと期待しています。

なお、私が考えているお湯を使った方法は、線維化している箇所やその周辺で火傷を起こす危険性があるため、より侵襲性の低い方法として、短時間で局所的に温める方法を考えています。将来的には電気を用いる加熱方法や、線維化した部分だけをレーザーで瞬時に加熱し、瞬時に冷却する方法なども有効なはず。2024年夏にはシンガポールを訪れ、バルーンに通電させて加熱するための微細なデバイスの開発にも取り組む予定です。

ちなみに、日本で行われる食道狭窄の拡張手術は年間2万件ほど。アメリカはその約10倍、中国は約100倍です。なぜ中国人に多いかといえば、非常に高温のお湯を飲む習慣があるからだと考えられます。熱いがゆえに食道に傷ができて炎症を起こしやすく、次から次へと新たな線維化の起点をつくってしまうのです。

細胞を並列回路に見立て電気刺激でがんを治療する技術開発に挑戦

一般的に、手術、化学療法、放射線治療という3つの方法が軸となるがん治療。私は第4の方法として、電気の力を役立てられないかと考えています。ベースになるのは、「細胞を電気回路に置き換える」という考え方です。細胞には細胞膜があり、その中に核やミトコンドリアといった小器官があります。これらの要素は、言わば抵抗やキャパシタのようなもので、細胞を並列回路に見立てて電気を流すと、要素ごとに受ける刺激の大きさが異なります。また、電気の流れやすさも違うため、短いパルスと長いパルスを使い分け、狙った要素にピンポイントで刺激を加えることができるのです。

【Web限定!】細胞内の特定の要素に電気刺激を与えたいのは、悪さをする細胞だけを的確に死滅させたいからです。細胞死には「ネクローシス細胞死」と「アポトーシス細胞死」の2種類があります。「ネクローシス細胞死」は細胞膜が破壊されて細胞の内容物を噴出しながら進む細胞死で、噴出された内容物によって周囲の正常な細胞がダメージを受けてしまうという特徴があり、侵襲性が高いものです。一方、「アポトーシス細胞死」は、ミトコンドリアを起点として、細胞膜が破れずに自滅していくようなイメージ。周囲の細胞に悪影響を与えない、侵襲性の低い細胞死です。私たちが行った実験では、「10のマイナス9乗」秒の短いパルスをかけると細胞の内部に強い刺激が加わり、アポトーシス細胞死のスイッチを押すことができることがわかりました。ネクローシスを起こさずにアポトーシスでがん細胞を死滅させることができれば、侵襲性の低いがん治療につながるのです。

がん細胞と正常細胞では、それぞれの要素に大きな刺激を与えられる電圧条件が異なるため、がん細胞だけを死滅させる刺激の与え方も可能です。現段階では環境依存度が高く、再現性は高いとはいえないのですが、細胞を使った実験をとおして、電気刺激の効果を定量的に示せるようになりつつあり、多様な事例に当てはまる統一的な理論の構築を目指しています。

超高齢社会に向け、電気刺激による老化細胞の除去にもチャレンジ

人は加齢が進むと、テロメアと呼ばれる構造が短縮され、細胞分裂が限界を迎えてしまいます。また、外部から酸化ストレスなどが加わることで細胞分裂が抑制されるケースもあります。そうやって代替されずに残された細胞は老化細胞となり、周囲にサイトカインという物質をまき散らして炎症を起こし、アルツハイマー病や慢性腎臓病、糖尿病といった老化性疾患の原因になるといわれています。

そこで私は、がん細胞の死滅化と同様に、老化した細胞も電気刺激によって選択的に除去できないかと考え、東京都健康長寿医療センターの研究者と連携しながら研究を進めています。核のサイズや細胞膜の組成などに着目して老化細胞と正常細胞を比較すると、がん細胞と正常細胞よりも差が歴然としており、老化細胞だけを電気刺激で死滅させる、という手法は、将来的に老化性疾患の有望な治療法になるのではないかと期待しています。

老化細胞に電極を差し、電気刺激を与えた後の生存率を時間の経過とともに計測・記録する実験装置