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電気と触媒が拓く、新たな化学の可能性―水と酸素から過酸化水素を生み出す

消毒・殺菌から半導体洗浄まで幅広い用途を持つ過酸化水素。最終的に無害な水と酸素に分解されるため、便利な基礎化学品として、様々な分野で活用されています。しかし、これまでの過酸化水素の製造は天然ガスなどの化石資源に依存。CO₂を多く排出し、多段階の工程を経なければ過酸化水素が作れないためにコストがかさむことなどが大きな課題となっていました。そうした課題を解決するため、都市環境科学研究科の天野史章教授は、水と酸素、そして再生可能エネルギーをもとにした電力だけで過酸化水素を製造できる技術を開発。持続可能な形で化学品を製造できる社会の実現に向け、新たな道を切り拓いています。

天野 史章 教授

AMANO Fumiaki
都市環境科学研究科 環境応用化学域

京都大学 工学部 工業化学科卒業。同大学院 工学研究科 分子工学専攻修了。2006年4月より5年間、北海道大学触媒化学研究センターに勤めた後、2011年10月より北九州市立大学 国際環境工学部へ。講師と准教授を歴任し、2015年12月から2022年3月まで国立研究開発法人科学技術振興機構の戦略的創造研究事業におけるさきがけ研究員を兼務する。2022年4月より現職。

触媒技術で挑む持続可能な化学品製造

私は、触媒を用いた化学反応の研究を行っています。触媒とは化学反応の速度を早める役割を持つ物質で、これを利用して社会に役立つ化学品を生み出すことが大きな研究テーマです。 【Web限定】もともとは光触媒を専門としていましたが、現在は電気エネルギーを使う触媒に力を注いでいます。私たちの研究室が現在掲げている目標は、太陽光や再生可能エネルギーによる電力を活用し、空気中の酸素、窒素、二酸化炭素、水分子など、身近に存在する物質から有用な化学品を生み出すことです。これは一種の人工光合成技術とも言えます。植物が光エネルギーを利用して水と二酸化炭素から有機物をつくるように、私たちは触媒の力で、自然界のエネルギーを化学物質へと変換するプロセスを人工的に実現しようとしています。 そしていま、特に力を入れているのが、再生可能エネルギーをもとに作られた電力を使って過酸化水素(H₂O₂)を製造する技術です。

クリーンな酸化剤「過酸化水素」、製造工程に残る課題とは?

意外と身近なところで活用されている過酸化水素 意外と身近なところで活用されている過酸化水素

過酸化水素は、水分子に酸素原子が1つ余分に結合した物質で、身近なところでは、オキシドール(消毒剤)として知られています。用途は非常に広く、医療現場での消毒・殺菌のほか、パルプや繊維の漂白、洗濯のシミ抜き、化学合成の酸化剤、廃水処理など、多方面で活用されています。近年では、ペットボトルや半導体の洗浄などにも用いられています。過酸化水素を使う大きな利点は、環境への負荷が極めて少ないこと。例えば、塩素系の消毒液では塩素の残留物が問題となることがありますが、過酸化水素はいずれ分解し、残るのは水と酸素だけです。

現在、工業的に広く用いられているのは「アントラキノン法」と呼ばれる製造方法。原料に水素ガスと酸素ガス、製造プロセスでは大量の有機溶媒を利用し、数多くの工程を経て過酸化水素を製造します。

高純度の過酸化水素を高効率で得られる反面、製造過程でCO₂を排出する水素を使うこと、熱や動力を要する工程が数多く存在すること、大型のプラント設備を必要とすることなど、環境負荷や運用の面で様々な課題を抱えています。また、高濃度の過酸化水素は爆発の危険があるため、貯蔵や運搬には冷蔵が必須。製造にも運搬にもエネルギーがかかるため、基礎的な化学品としては高価格なのです。幅広い用途でニーズがあるものの、コスト面がネックとなって導入できない、という分野も少なくありません。

このような状況を踏まえ、より小規模な用途でエネルギー消費を抑えて、使いたい場所で過酸化水素を合成できる「オンサイト合成」技術を見据えた研究開発が望まれてきましたが、濃度や純度、安全性やエネルギー効率の観点で多くの課題があり、工業的に利用されるには至っていないのが現状です。

「触媒×多孔質プロトン交換膜」で、水と酸素から過酸化水素オンサイト合成を実現へ

私たちが開発したのは、電気化学反応を使い、複雑な工程を経なくても1段階で過酸化水素を作れる技術です。必要な電圧は約2ボルト。水と酸素から製造が可能で、大規模な設備は不要、再生可能エネルギー由来の電力を使って反応を進行させることができます。従来の電解合成法とは異なり、不純物のない過酸化水素水を製造できます。最近では5~10%の高濃度な過酸化水素水を製造することができるようになりました。市販のオキシドール濃度が3%であることを考えると、一般用途には十分な濃度です。

不純物を含まないH₂O₂水溶液を効率よく合成するために独自設計された電解反応装置 不純物を含まないH₂O₂水溶液を効率よく合成するために独自設計された電解反応装置

この技術で利用する電気化学セルは、「陽極―多孔質プロトン交換膜―陰極」で構成されています。陽極には加湿した酸素を供給し、陽極の酸化イリジウム触媒によって水蒸気(H₂O)は酸素とプロトン(水素イオン)、電子に分解されます。多孔質プロトン交換膜を通って陰極へと進んだ酸素とプロトンは、外部電源から供給された電子と陰極のコバルト触媒によって、過酸化水素に変化するのです。これらの化学反応は、それぞれの電極を構成している触媒材料によって駆動します。

【Web限定】触媒と聞くと「化学反応の速度を速める」という機能が注目されがちですが、「反応の選択性を制御する」という工夫も重要です。

例えば、本技術で利用している「コバルト触媒」は、コバルトイオンを導電性カーボン上に原子レベルで分散させて作っています。このコバルトイオンの一つ一つが触媒としてはたらき、酸素分子間の二重結合(O=O)の一方だけを切断してくれることで、最終的に過酸化水素(H-O-O-H)を生成することができるのです。分散性の低いコバルトを触媒としてそのまま使った場合、酸素分子が活性化され過ぎて二重結合の両方が切れてしまうので、過酸化水素を合成できません。このように「よい塩梅で反応を止める」ことができるように触媒を設計することは、この分野の難しさでもあり醍醐味でもあります。

そして、本技術最大のポイントは、「多孔質プロトン交換膜」の開発にあります。これまでに開発されてきた「電気化学反応による過酸化水素合成技術」では、高濃度のイオンを含む電解質溶液、つまり液体を介してプロトンを移動させていました。しかし、電解質溶液が過酸化水素に混ざり、製品の純度が下がってしまうという課題がありました。そこで多くの研究者が「電解質溶液」を、固体の「プロトン交換膜」に置き換えるべく挑戦しました。しかし、水分子が少ない反応条件では、触媒がなかなかうまく機能しません。一方で触媒を純水に浸した場合では、十分な量の酸素が供給できないため、化学反応が進みません。プロトン交換膜と接した陰極の触媒層に十分な量の水と酸素ガスを共存させる必要があることは明らかでしたが、流体を供給できるのは表側の一方向のみであり、バランスよく液体と気体を同時に供給することは困難でした。

この課題を解決するために、陰極の表側と裏側の2方向から、それぞれ水と酸素ガスを供給するアイデアを思いつきました。しかし、通常のプロトン交換膜はプロトンのみを選択的に透過させることが求められており、気体は通過できません。そこで、従来の常識にする形とはなりましたが、酸素が通過できるような「多孔質プロトン交換膜」を作ってみたのです。すると、陽極側から供給・発生した酸素が、孔を通じて効率よく陰極に移動するようになりました。加えて、合成された過酸化水素を素早く回収できるよう、陰極は常に水と接しています。こうして、従来の電気化学合成法よりも高効率で高純度の過酸化水素を安定して合成できるようになったのです。 【Web限定】なお、水が酸素の通り道であるプロトン交換膜の孔をふさいでしまうと反応が止まってしまうため、この多孔質プロトン交換膜に撥水性を持たせる工夫もしています。

この技術を用いれば、小型の装置でも過酸化水素を製造でき、必要な場所で必要な量をその場で生産することが可能になります。病院での消毒、水処理場での浄化、美容室や歯科医院での利用など、幅広い現場での応用が期待されます。不純物を含まない点は、ペットボトル洗浄や半導体洗浄といった高い清浄度が求められる分野でも大きな強みとなります。

触媒技術で切り拓く、カーボンニュートラルな化学工業

過酸化水素合成に関しては、今後は触媒性能をさらに高め、必要な電圧を現在の約2ボルトから理論的限界に近い1ボルト程度まで引き下げ、省エネルギー化を進めたいと考えています。

さらに注目しているのが、再生可能エネルギーの余剰電力の活用です。北海道や九州では、夏の昼間に太陽光発電の余剰電力が発生し、発電を停止せざるを得ない状況があります。この未利用電力を活用すれば、安価なエネルギーで過酸化水素を製造でき、例えば北海道における畜産分野の殺菌など、地域特有のニーズにも応えることができます。コストについては、大規模化学工業による低コスト製造との比較が必要ですが、高付加価値用途や特殊条件が求められる分野においては、すでに十分な競争力を持ち得ると考えています。

この技術は新規性が高く、成功が保証されているわけではありません。ですが、新しい挑戦に前向きな企業とともに新たな市場を開発し、独自のビジネスモデルを構築できれば、持続可能な社会の実現に向けて一歩前に進めるのではないかと考えています。ご興味のある担当者の方には、ぜひ一度、お話をさせていただければ幸いです。

また、同様の電気化学技術を使って、CO₂を炭素資源化する研究も進めています。今回紹介した技術では酸素に電子を与えて過酸化水素を合成していますが、CO₂に電子を与えることができれば、一酸化炭素やギ酸などの有用化学物質に変換することができます。特に一酸化炭素は、メタノール、プラスチック、燃料など、様々な化学品の原料となる、最も有用な炭素資源のひとつ。電気化学の力で「脱石油」社会の実現につながるものと期待しています。

持続可能な社会の実現に向けて

【Web限定】私は学生時代から化学を専攻し、光触媒研究からスタートしました。その後、光エネルギーから電気エネルギーを活用する触媒研究へと展開し、現在の「再生可能エネルギーを用いた化学品製造」というテーマに至っています。根底にあるのは、持続可能な社会の実現への強い思いです。

今回紹介した過酸化水素技術に限らず、私たちは再生可能エネルギーを活用した炭素循環技術や低炭素技術の実現を目指しています。社会全体の構造転換には20年、30年という長期視点が必要ですが、過酸化水素製造のように比較的早期にビジネス化を期待できる技術もあります。小さなステップから着実に進め、最終的には大きな変革につなげていきたいと考えています。

持続可能な社会という共通の目標に向けて、長期的に挑戦を共にできる企業の皆様との出会いを楽しみにしています。不確実性があるからこそ挑戦する価値がある――その思いを胸に、研究を続けていきたいと考えています。