Miyacology

多様な背景が絡み合う識字・基礎教育の実態 誰もが学べる社会を目指して

人文社会学部・金侖貞教授の専門は社会教育・生涯学習。外国にルーツを持つ人々が抱える識字の課題のほか、多様な社会的背景が複雑に絡み合う教育現場の実情をお聞きしました。

金 侖貞 教授

KIM Yunjeong

人文社会学部 人間社会学科 教育学教室

韓国中央大学で教育学と日本語・日本文学を専攻後、同大学院で教育学を研究し、2000年4月に日本政府の国費留学生として来日。東京大学大学院教育学研究科の研究生を経て修士課程・博士課程を修了。専門は社会教育・生涯学習。主な研究テーマは、多文化教育や韓国社会教育、識字・基礎教育。


歴史・文化や当事者の置かれた状況を知れば知るほど問題の難しさや個別性の高さが見えてきます。それでも挫けず実態を丁寧に見つめつづけることが大事だと思います。私は日本のドラマやJ-POPがきっかけで日本に興味を持ちましたが、近年は韓国ドラマやK-POPから韓国に興味を持つ日本の若者が増えているようです。きっかけは何であれ、皆さんと一緒に研究と教育を進め相互理解を深めていきたいですね。


読み書き能力は当たり前ではない。識字・基礎教育の必要性

日本で暮らす人々の中には識字・基礎教育を必要とする人たちがいますが、十分な読み書き能力を獲得できていない理由は実に様々です。例えば、外国にルーツを持つ子どもには、両親ともに外国出身者の場合もあれば、どちらか一方が外国出身者の場合もあります。また、子どもが日本生まれもあれば、外国で生まれてから日本に来る場合もあります(もちろん母語や母文化に関する支援も欠かせません)。さらに、識字教育が必要なのは、外国にルーツを持つ子どもだけとは限りません。ヤングケアラーなど家庭の事情で学校に通えなかった子どもや、いじめによる不登校、ひきこもりなどにより十分な教育を受けられなかった子どももいます。このように、諸事情により学校に十分に通えないまま形式的に卒業を迎えた「形式卒業者」がいます。そもそも文字の読み書きや簡単な計算などができなかったり、文字は読めても書けないケースや、同音異義語を判別できないケースもあります。日本で生活している人たちが読み書き能力を十分に身に付けているというのは当たり前ではなく、あらゆる人に学習の機会を保障することが求められています。

【Web限定!】日本に留学すると決めたときの研究テーマは、高齢者教育でした。東京大学大学院修士課程の入学後、様々な勉強・研究を進める中で人権や学習権という概念に出会い、圧倒され興味を持ちました。そのとき、指導教員の佐藤一子先生から川崎に在日コリアンのコミュニティがあることを教えてもらいました。当時は在日コリアンのことはよく知りませんでしたが、その後研究を積み重ね川崎のコミュニティを対象に修士論文・博士論文を書きあげました。ちょうどそのころ、韓国でも社会教育が盛んになり、制度整備が進んできましたが、社会教育における日韓交流も行われ、それに参加したことをきっかけに、その後、識字・基礎教育における日韓比較研究へとつながっていきます。こうして思い返せば、いくつかの転機があって今の研究テーマになりました。皆さんも、研究してみたいテーマがはっきりしていなくても、学び続ける中で探究したいテーマに巡り合うこともあるはずです。

一人一人状況が違う外国にルーツを持つ子ども

外国にルーツを持つ子どもでも日本国籍を有している場合、日本語は十分に身に付いていると思われてしまい、日本語に関する支援を受けられないケースがあります。日常生活に必要な程度の日本語は分かっても学校での学習時に必要な水準の言語能力を有していない子どももいますので、きちんと学習言語が身に付くように必要なサポートをすることが大事です。

また、外国人女性が日本人男性と結婚した家庭では、日本と母国を頻繁に行き来するような生活を送ると、子どもにはどの言語も定着しない可能性があります。例えば、フィリピンルーツの子どもは、日本語だけでなく、英語やタガログ語、出身地の島の言語のいずれも身に付かず、「ダブル・リミテッド」ばかりか、「マルチ・リミテッド」になるケースもあります。

一口に外国にルーツを持つ子どもといっても、その置かれた状況は実に様々です。

夜間中学、地域日本語教室など様々な識字・基礎教育現場の実態を調査

識字・基礎教育は、地域日本語教室、公立夜間中学や自主夜間中学、識字学級などで行われています。例えば地域日本語教室は、日本語を母語としない人々が日本語を学ぶ場所です。また、公立夜間中学では、外国ルーツの生徒だけでなく、高齢者、形式卒業者など、多様化する学習者のニーズに応じて教員たちが尽力しています。夜間中学で学んで、高校に進学するといった、外国ルーツの生徒がいることも聞いています。

しかしながら、日本の識字・基礎教育においては全国的かつ領域横断的な実態調査が行われていません。特に、今般の新型コロナウイルス感染症拡大の影響で露呈した学びの中断や学習者の孤立、ICT機器整備などの課題もあるはずです。このような状況を踏まえ、私は全国的かつ領域横断的な実態調査を行い、各教育現場の実態やニーズを把握する研究を進めています。あわせて、韓国など諸外国の識字教育制度を参照し、日本に必要な支援や制度を発信していければと思います。