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1920年代に日本経済をけん引した織物業の産業構造に迫る

日本が世界に誇る産業といえば、自動車を中心とする製造業をイメージする方は少なくないでしょう。

では、今から100年前の1920年代はどうだったのか。
綿織物業をはじめ、当時の繊維産業を研究テーマとする経済経営学部経済経営学科の宝利ひとみ助教にお話を伺いました。

宝利 ひとみ 助教

HOHRI Hitomi
経済経営学部経済経営学科

神戸大学経済学部卒業後、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。(公財)三菱経済研究所研究部専任研究員、帝京大学経済学部助教、立教大学経済学部助教などを経て2021年より現職。専門は日本経済史。

かつての織物業は国際競争力が高く日本経済をけん引する産業だった

 私の研究テーマは、主に日本国内における1920年代の経済史。戦間期と呼ばれ、戦後恐慌や金融恐慌もあり、長期的な不況に苦しんでいた時代です。着目したきっかけは、当時の織物業について1980年代に発表された先行研究を学生時代のゼミで知り、感銘を受けたこと。そして、私なりに抱いた疑問を解消していくことで、その研究内容をさらに深めたいと考えたからです。

 当時の織物業は、現在では考えられないほどに国際競争力があり、大量の輸出によって外貨を獲得できていました。重要輸出品の一つとして日本の工業界の発展に重要な役割を果たすばかりでなく、不況下にあっても日本全体の経済発展の推進力になるような重要な産業だったのです。研究のモチベーションは、この織物業が発展を遂げた要因を知りたいという好奇心。現在も長期にわたる不況の渦中にあると考えれば、当時の状況を研究することで、現在および将来へのヒントが得られるのではないかと考えています。

世界のニーズを捉えた「製品転換」と地元の有力者を巻き込む「資金調達」

 戦間期に発展した織物業。そこにはいくつかの条件がありました。まず、輸出を拡大するならば、海外の幅広い需要に応えるために、製品の仕様を変更する「製品転換」が不可欠です。輸出先によって好まれるデザインや織り方、形、サイズなどは、実に多様だからです。生産者が世界各国のニーズを直接把握することは難しかったのですが、問屋や輸出商などの商人が情報を集め、生産者にフィードバックする情報の流れがありました。その上で新たな製品づくりに着手するのですが、製品が変われば生産設備も変えなければいけません。設備投資に向けて金融機関から融資を受けるなど、資金調達の必要性が生じるのです。必ずしも生産者全員が個々に銀行と取引するのではなく、地元の有力者を介して銀行から借りたり、取引先から掛取引の形で信用供与を受けたり、顔の見える範囲の地元で直接出資を受けるなど情報の非対称性に起因して様々な方法がありました。このように、輸出先に応じた製品転換のチャンスを確実に捉え、円滑に資金調達を行えることが成長の条件だったのです。

業界の慣習にとらわれず成長を遂げた企業もあった

 織物業は不況下でも成長を遂げたといいながらも、輸出先に応じた製品転換に適応できずに廃業するケースも見られ、現代でもいわれる「多産多死」と同様の状況がありました。効率的で生産性の高い企業が生き残り、成長した一方で、非効率な経営をしている企業が淘汰されていくことで、業界全体の生産性が維持・向上されいた点は否定できないのです。もっとも、製品転換のタイミングで効果的な支援策を講じれば事業を継続できた企業もあったと考えられるため、現代への示唆を見出すこともできるでしょう。

 なお、当時の織物業では、多くの場合、同業者で組合をつくって仕事を融通し合い、工程の一部を共同で進めることでコスト削減を進めるような工夫も行われていました。そんな中、1891年から1961 年までタオル生産を続けた兵庫県の稲岡商店は、業界内での一般的な経営手法とは異なる自社完結型でした。ほかにも、同業者の組合に頼らないスタンドアローン型の経営スタイルを守り、大企業に成長したわけではないものの、長年にわたり企業活動を継続させたユニークな企業もあり、研究対象としても注目しています。

歴史を感じる古い帳簿をもとにデータベースを作成することも

 経済史研究の昨今の潮流は「マイクロ実証」といい、計量経済学的な手法によって量的な把握を目指す傾向にあります。特定の企業の古い蔵に所蔵されていたような過去の帳簿は依然として重要である一方で、誰でもアクセスできる公的な統計資料に記載された量的なデータからも経済史的に有意義で面白い事象が見出せるのです。

 経済史の伝統的な研究スタイルは、研究対象とする現地へ赴き、実際に蔵などから帳簿を見つけてはデータ化を進める方法です。私は経営文書も公的統計も使用していますが、後者でさえ判別できないほどに数字がかすれているケースも多く、手動でのデータ化は時間のかかる地道な作業になります。今は育児と研究を両立させるべく、都立大の「ライフ・ワーク・バランス実現のための研究支援制度」を活用し、学生アルバイトに力を借りることで、統計資料のデータベース化をスムーズに進めることができています。

産業の盛衰は、いかにして地域経済に影響を与えるのか

 今後の研究テーマも織物業の産業史を中心に考えていますが、近年は地場産業を持つ地域の経済状況と、その産業全体の盛衰の関係にも視野を広げています。地域の産業が栄えればその地域も栄える一方で、単一の産業で支えられていた地域は、その産業の衰退によって地域全体が一気に活力を失ってしまうことも考えられます。

 例えば、1931年の金輸出再禁止によって為替レートが大きく変動した際には、輸出織物業が盛んな地域とそうでない地域ではどのような違いがあるか、織物業全体への影響がどの程度だったのかについて分析していこうと考えています。