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障がい者スポーツを支える大学のポテンシャル

 東京都立大学健康福祉学部の信太奈美准教授は、車いすバスケットボール男子日本代表チームでキャプテンを務める豊島英選手がジュニア世代の頃からチームに帯同するなど、さまざまなサポートを行ってきました。
 そこで今回は、パラリンピックの東京開催が決定したことによる障がい者スポーツの環境変化や、今後の展望などについて、研究者の視点と、障がい者スポーツのプレーヤーの視点の双方からお話を聞きました。

<左>豊島 英 氏
Akira Toyoshima
車いすバスケットボール 男子日本代表キャプテン

生後4か月で髄膜炎により両下肢機能を失う。中学2年から地元・福島のクラブチームで車いすバスケットボールを始め、2009年より「宮城MAX」に所属。これまで日本選手権(天皇杯)11連覇を果たし、大会MVPにも3度選出されたほか、2012年パラリンピックロンドン大会および2016年同リオ大会にも出場。2015年からは株式会社WOWOWに所属しながら、仙台を拠点に活動。2016年10月からは、ドイツのクラブチームで2シーズンプレーした。

<右>信太 奈美 准教授
Nami Shida
健康福祉学部理学療法学科

学生時代から障がい者スポーツに携わり、卒業後は理学療法士として埼玉県立総合リハビリテーションセンターに勤務。その後、筑波大学大学院体育学研究科を経て2006年に首都大学東京健康福祉学部理学療法学科で研究員となる。2007年からは同助教を務めながら4年間にわたり早稲田大学大学院スポーツ科学研究科にも所属し、博士後期課程を修了。博士(スポーツ科学)。2019年より、同准教授。現在は、日本パラリンピック委員会での各種委員も兼務している。

【障がい者スポーツの環境】東京2020開催決定が不遇の時代を脱する契機に

信太 英(豊島選手)と初めて会ったのは、2004 年にオーストラリアで開催された車いすバスケットボール(以下、車いすバスケ)のジュニア大会です。私は当時、理学療法士として埼玉県にあるリハビリテーションセンターに勤務する傍ら、勤務時間外に車いすバスケのクラブチームをサポートしていました。そんな折、一般社団法人日本車いすバスケットボール連盟からお声がけをいただき、10 代の選手の活動に帯同していたのです。当時は、2001年に22 歳以下の第2回世界選手権が開催され、ジュニア育成プログラムがスタートしていた頃。2005 年の第3 回大会に向けたプロジェクトとして、2004 年には全国から有望な選手を選抜して強化合宿も行われ、そこにも英は参加していました。

豊島 私は幼少期から日常的にリハビリに通い、小学校低学年までは、学校に隣接する病院に入院しながら通学する生活を送っていました。その後リハビリの頻度は減っていきましたが、高校3年生まではずっと理学療法士の方にお世話になっていました。その過程で、私は体を動かしたい一心で、いろいろな競技を体験しながら自分に合う競技を探し、中学2年生のときに車いすバスケと出会いました。最初は「シュートを決めたい」「試合に出たい」というシンプルな気持ちでしたが、所属したチームに当時の日本代表選手もいて、自在に動ける先輩たちには強い憧れを抱きましたし、いつかは自分も日本代表になりたいと思うようになりました。出会った頃の奈美さん(信太准教授)は、理学療法士というよりも、チームの活動全体を見渡すマネージャーのような存在だと思っていましたが、そうかと思えば大学教員になり、本業をこなしながらドーピング対策などで日本代表選手に向けた説明に姿を現すこともありました。活動範囲を切り拓きながら、今でも様々な角度から障がい者スポーツに向き合ってくれていて、ここまでしてくれる人はいないと思えるほどです。

信太 私自身もバスケットボール選手としての経験があり、応援したい気持ちが強かったですし、初めて車いすバスケを見て、純粋にスポーツとしての魅力を感じたのです。一方で選手に帯同して活動する中で、車いすバスケを取り巻く環境にもどかしさも感じ、課題を解決していきたいとも強く思いました。例えば、日本代表チームの合宿も今でこそ味の素ナショナルトレーニングセンター(NTC)を使えますが、かつては日本代表といえども一般向けに開放されている体育館と近隣の宿泊施設を自分たちで探して予約し、合宿をしていました。何日間も占有できる体育館を探すこと自体が大変でしたね。

豊島 しかも、車いすの場合、転倒すると床が傷ついたり、タイヤのブレーキ痕が付着してしまうといった理由で「車いすバスケはお断り」という体育館は少なくなかった。そういったプレー以前の環境的な課題がありました。予算面についても、かつては日本代表選手でも遠征や合宿は自費で参加していたほどです。その後パラリンピックの東京開催が決まり、スポンサーが増えた恩恵は大きく、プレー環境は改善されてきています。

信太 体育館での床の損傷はそこまで頻繁ではないです。もちろん、貸し出す側としても悪気があったわけではなく、認知が広がっていないがゆえの致し方ない対応だったように思います。私が社会人生活を経て大学院に進学したのは、このケースのように社会の協力を得られない障がい者スポーツの環境をどうにかして改善するために勉強しようと思ったからです。

【障がい者スポーツの捉え方】健常者でも一競技として車いすバスケを楽しむ時代

信太 大学院では、車いすバスケをはじめとした障がい者スポーツの活性化に向け、日本代表クラスに限らず、障がい者が健常者と同じように、いつでも自由に自分がしたいスポーツを楽しめる環境づくりに貢献するための研究を進めました。とりわけ重視したのは、子どもの頃からスポーツに親しめる環境づくりです。その思いは今も変わらず、理学療法士がリハビリで関わる障がい児の中から“ 原石”を見出し、アスリートに育成する「発掘プロジェクト」に参加しています。成長過程で理学療法士と出会い、適切なリハビリやトレーニングを積んでいれば、選手として大成したと思えるケースが少なくないからです。英のような選手は多くの競技で争奪戦になると思いますが、可能性に満ちた若い才能を眠らせておきたくないのです。例えば、自分の体に合わない車いすを使い続けることで体の変形が進行してしまうケースでは車いすの改良をアドバイスしますし、車いすに座っていない時間の姿勢など、日常生活へのアプローチも大切です。せっかくスポーツがしたいと思っても条件が整っていない状況を改善し、子どもの頃からスポーツに関われる社会にしたいのです。

豊島 その点、私は早い段階で車いすバスケに出会えました。車いすバスケに関しては、現在は各都道府県に1チームはありますので、練習場所までの送迎手段があれば、子どもの頃から関わることができます。ただ、他の競技では必ずしもチームが充実していないのが現実ですね。

信太 小・中学生時代の過ごし方が変われば強化につながります。海外を見渡せば、日本ではまず見かけないような重度の障がい者がスポーツを楽しみ、パラリンピックに出場することもあります。障害が重い選手などは、一人では練習もできませんが、国際大会に出場できるだけの充実した練習環境が海外にはあるということです。日本でも様々な競技で障害の内容や度合いに応じた選択肢が増えてほしいですし、障がい者スポーツをはじめとして、学校での部活動にないようないわゆるマイナースポーツも含めて、スポーツ環境全体が底上げされていくことが理想です。

豊島 そうですね。私がリオでのパラリンピックの後、ドイツのクラブチームに所属して2シーズンプレーしたのには二つの理由があります。まずは、日本代表に定着しつつあるタイミングで、東京パラリンピックを見すえて技術を高めること。そして、海外のトレーニング環境やリーグ運営を自分の目で見て確かめることです。現地のリーグでは、ドイツ国外からも私のように選手を招き、チーム内で刺激し合いながら技術レベルが向上していく好循環が生まれていました。日本国内の車いすバスケは、日本人選手だけで戦っていますが、海外では国内外の有能な選手が切磋琢磨して腕を磨ける環境で、しかも健常者から見てもひとつのスポーツ競技として認識されているように感じました。私自身も“ 障がい者として”ではなく、一人のアスリートとして見てもらいたいですし、最近は日本国内で健常者と障がい者の混成チームもつくられているので、その中で障害の有無に関係なく“ レギュラー争い”をしながら、技術レベルが上がっていくことが望ましいと思っています。

信太 依然として日本国内では、障害があるとか、障害が重い人がプレーするだけで拍手を送るような風潮もありますが、障がい者スポーツが本当にひとつのスポーツとして根付くためには、いい加減なプレーに対して“ ヤジ”を送ったって構わないのです。あくまでも「スポーツとしての障がい者スポーツ」に熱狂できる社会になることが、東京パラリンピックの目に見えないレガシーになってほしいと願うばかりです。また、英の言う混成チームのほかにも、健常者が純粋なスポーツとして車いすバスケを楽しむケースも増えており、健常者だけの大会も開催されています。それはもはや「障害の疑似体験」ではなく、車いすがいわばスポーツ用具として捉えられているということ。車いすに乗らなければバスケットボールができない障がい者のためのスポーツとしてではなく、そもそも車いすに乗って行うスポーツ競技なのだという意識がさらに広がってほしいですね。

【大学の社会貢献】地域に根を張り、未来の障がい者スポーツを創造する

信太 近年は、パラリンピックの東京開催が決まった影響もあり、障がい者スポーツに興味を持って勉強しようとする学生が増えていることは確かです。英のような選手の活躍もそのきっかけになり、パラリンピックの東京開催は、より広く車いすバスケを知ってもらうチャンスになります。ここ数年で障がい者のアスリート雇用が促進されてきたことも、東京開催が決まったからこそだと思いますので、さらに世間の意識、社会の反応が変わっていくことへの期待は大きいですね。そして、東京パラリンピックをゴールではなく通過点として考え、さらなる活性化と環境整備を進めていくために大きな役割を果たせるのが、東京都立大学のような公立大学。教室や体育館、グラウンドなどの施設・設備を活用しながら、地域に根差し、地域に開かれた活動ができるほか、私のような研究者や意欲的な学生の学びの場として、障がい者スポーツを通じた社会貢献がしやすい環境だと思うのです。障がい者スポーツはまだまだ研究が必要な領域ですが、それだけ地域活動を通じて研究が深まり、学生が見聞を広める教育効果もありますので、大学と地域、そして障がい者がWIN-WIN-WIN の関係になれる可能性を感じています。

豊島 それはとても楽しみですね。私にできることは、まずは選手として東京パラリンピックに全力を注ぐことです。その後は、国内外でのプレー経験をベースにして、車いすバスケ界の発展に力を尽くしていきたいと思います。東京パラリンピックに向けた盛り上がりを感じる一方で、このままでは車いすバスケが衰退しかねないといった危機感があるのも確か。課題は山積みだからこそ、誰かがアクションを起こさなければいけませんので、日本で開催されている大会のシステムや、クラブチームのあり方、運営方法などの問題点を、一つずつ改善する努力を重ねていこうと考えています。目指すは国内リーグの創設です。

信太 世の中は多数派の意見に“ なびいて”しまうものですが、多様性を認め合おうとする社会ならば、障がい者の声が少数だからという理由で聞き流してしまってはいけません。もし少数派の声が聞こえないのならば真摯に耳を傾け、行動すべきことは言うまでもありません。私はこれからも研究成果を障がい者スポーツに還元していきますので、さらに英のような影響力のある当事者にも、積極的な情報発信で社会を変える力になってほしいと思います。