Miyacology

「財産権」は守られて当然の権利?大切なのは、社会全体におけるバランスです。

今回登場するのは、江戸時代の中期以降、幕末や明治期を中心とする日本経済史が専門の小林延人准教授。現代社会の経済活動や法制度のルーツを見出せる、「明治初期における債権の近代化プロセス」をご紹介します。


歴史の勉強に限らず、大学では教科書や資料の内容を鵜呑みにしないように。根拠をもとに実証的に批判する姿勢を持ち、自分なりの意見を導き出すことが重要です。そして、文章力やプレゼンテーション能力など、考えを整理して論理的かつ正確に伝えるスキルを高めていきましょう。


小林 延人 准教授

Noburu Kobayashi
経済経営学部経済経営学科

東京大学文学部歴史文化学科卒業後、東京大学大学院人文社会系研究科日本文化研究専攻博士課程修了・博士(文学)。秀明大学学校教師学部での講師・准教授を経て、2018 年より現職。著書に『明治維新期の貨幣経済』(単著)、『財産権の経済史』(編著)などがある(ともに東京大学出版会)。

「廃藩置県」では、江戸時代の“藩”の借金も帳消しになった?

 現代の民法で物権、債権、知的財産権などを包括する概念となっている財産権。このうちの債権は、法人などの債務者に対して、主に金銭の支払いによって債務を履行させる権利です。江戸時代にも多くの藩が「大名貸し」と呼ばれる豪商から借金をして債務を負い、大名貸しは藩に対する債権を有していました。この債権が近代化を遂げるターニングポイントとなったのが、明治初期の藩債処分です。

 1871(明治4)年の廃藩置県で、藩は府・県に統合、廃止されました。債務者である藩が存在しなければ、貸したまま返済が行われない“貸し倒れ”の可能性が出てきます。そこで1873(明治6)年に「新旧公債証書発行条例」が制定され、藩が大名貸しに対して負っていた債務の約半分を明治政府が引き受け、大名貸しの債権を保護したのです。

「新旧公債証書発行条例」の制定が債権の近代化と経済活動の活性化に寄与

 新旧公債証書発行条例では、債権の近代化を象徴するポイントがあります。1つは、明治政府という国家組織が、江戸時代から続く大名貸しの債権を保護したこと。明治維新によって統治体制が変わったにもかかわらず、明治政府は大名貸しを救済するために、言わば他人の借金を肩代わりしたのです。ただし一方で、1844(弘化元)年より前の借用証文を根拠とする債権は一律で“古債”として扱い、債権債務関係を認めなかったことが2つ目のポイント。100年後、何年後でも返済請求権は失われないという江戸時代の考え方に反して、明治政府は30年という明確な基準を設定しました。一定期間行使しない債権は消滅するという考え方は、後の民法で導入される「債権の消滅時効」につながっていきます。3つ目は、債権の流動性が高まったこと。江戸時代には大名貸しの債権を示す借用証文が、“有価証券”として売買されることはレアケースでしたが、新旧公債証書発行条例の制定後は、証書の売買や、証書を担保にしてお金を借りるような公債担保金融が発達し、経済活動が活性化したのです。

“自由”の御旗のもとで、単純に個人の権利を守ればいいわけではない

 明治政府が意識したのは、財政の健全化と債権保護のバランスです。債務の引き受けによる財政支出の増大は覚悟した上で、部分的に大名貸しの権利を守り、反発を最小限に抑えたいと考えたのです。

 こうしたバランス感覚は現代でも大切。財産権を強く守りすぎると、結果的に“公共の福祉”が実現しない弊害を生むこともあるからです。例えば、駅前などで土地開発を進める際、土地の所有権者が多数いれば、それだけ合意形成は難しく、住民の利便性向上や経済活動の活発化が期待される都市計画が実行できなくなります。単に個人の権利を強くすればいいわけではなく、全体像に照らし合わせながら、権利の強弱をバランスよく調整する必要があります。このような見方は、自治体や政治家の取り組みや主張を評価するときにも参考になるのではないでしょうか。