Miyacology

因果関係を紐解く新基準「危険の現実化」

「事実は小説より奇なり」といわれます。
では、Aを起点にしてBやCといった予見できない事情が複雑に絡み合い、Dという結果に帰結したとき、AとDに因果関係はあると考えていいのでしょうか。
刑法における「因果関係論」を研究テーマとする法学部法学科の里見聡瞭助教にお話を聞きました。

里見 聡瞭 助教

SATOMI Toshiaki
法学部 法学科

明治大学法学部卒業後、同大学院法学研究科博士前期課程を経て、東京都立大学大学院法学政治学研究科法学政治学専攻博士後期課程修了。博士(法学)。2021年より現職。著書に『因果関係論と危険の現実化』(成文堂・2024年3月)がある。

明文化されていないからこそ因果関係論は議論され続ける

私が刑法に面白さを感じた原点は、「正当防衛」が成立する要件を学んだことです。空手の経験者が正当防衛によって相手を死に至らしめてしまった事例を学んだ際、私自身も小学生のときから空手道に勤しんできたことから、刑法をより身近に感じました。そして、同様に要件の成立過程に興味を持って研究してきたのが「因果関係論」です。日本では長らく、「相当因果関係説」という学説が優位的な立場にありましたが、近年は判例から生まれた「危険の現実化」という考え方が台頭してきました。判例に対して学説は批判的であることが多いのですが、因果関係論に関しては珍しく学説も賛成しています。ただし、判例から生まれたため、理論的に補強されていない考え方でもあり、大いに研究の余地があると考えています。

なお、刑法では因果関係に関する規定が明文化されているわけではなく、因果関係という言葉すら書かれていません。だからこそどんな時代でも因果関係を認めるか否かが争点となり、将来的にも問われ続けていくテーマであろうと考えています。

いかなる行為・事情が「危険」を「現実」のものにするのか

「相当因果関係説」が「危険の現実化」という考え方に取って代わられる背景にあるのは、因果関係が争点になる事例の広がりや複雑化であると考えられます。

例えば、AさんがBさんの心臓を刺してBさんが失血死した場合、因果関係は明確であるため争点になりません。一方、AさんはBさんを少し切りつけた程度で、致命傷ではなかったとします。ただ、念のため救急車で病院に向かったところ、救急車が事故を起こしてBさんが死亡するケースを考えてみてください。このとき、Bさんの死に大きく影響したのは救急車の事故ですが、それでもAさんに責任があり、Bさんの死との因果関係が認められるのか否かが問題になります。「相当因果関係説」の考え方の一つに、救急車の事故を予見できたのであれば因果関係を認め、反対に予見できなかったのであれば因果関係を認めないとするものがあります。しかし、ある行為からある結果を予見できるかどうかは、人によって異なる場合があります。誰を基準とするかで因果関係の有無が異なりうるのです。「相当因果関係説」では説明のできない判例の登場や実務上の有用性について厳しい批判があったことから、「危険の現実化」という考え方が生まれてきました。

「相当因果関係説」の説明範囲に収まらない事件が発生した際、より広範囲をカバーできるのが「危険の現実化」の考え方

【Web限定!】例えば、CさんがDさんに危害を加え、Dさんに輸血を行う必要性が生じた際に、Dさん自身が信仰上の理由から輸血を拒んで失血死するようなケースがあったとします。この場合、Dさんの信条・信仰を予見できるか否かだけでは因果関係の判断には不十分であり、Cさんの行為がどれだけDさんの死という「危険の現実化」につながる行為であったのかを争点にした方が、裁判実務の上でも判断がしやすいと思われるのです。

なお、信仰上の理由で輸血を拒否する問題については、憲法の観点で議論されることは多いものの、刑法の問題としてはさほど議論されてきていません。とはいえ、こうした事件は実際に起きており、今後は刑法の問題としてもクローズアップされていくと考えられます。

世間や法曹界が注目する重要判例

昨今は「危険の現実化」の考え方が主流になりつつあるとはいえ、まだ判例数が少ないため、今後どのように判断されていくかが注目されています。

例えば、重要な判断が下されそうなのが「東名高速夫婦死亡事故(東名高速あおり運転事件)」です。これは、2017年に家族4人が乗る車が高速道路上に停車させられ、後続車が追突して2人が亡くなった事件。そもそもは、パーキングエリアで駐車スペースではない場所に駐車していた被告人に被害者が注意をし、立腹した被告人がパーキングエリアを出てからあおり運転を行いました。危険を感じた被害者が仕方なく高速道路上で停車し、その前方に被告人が停車すると、被告人は被害者の車まで歩き、胸ぐらをつかむなどの行為に及びました。その後、被告人が自分の車に戻ってから、被害者の車に第三者のトラックが追突して家族4人のうち2人が亡くなったのです。

裁判の争点は、あおり運転を行った被告人の行為と、2人の死の間に因果関係を認め、危険運転致死傷罪を成立させるか否か。直接的な死因は後続車による追突ではあるものの、被告人の行為によって「危険の現実化」が生じたと判断されれば重要判例になるでしょう。

国内の刑法学では前例のなかった英米法との比較研究

実は因果関係論については、「客観的帰属論」というドイツの考え方を重視する研究者も少なからずいらっしゃいます。そもそも日本の刑法学研究における主流は、ドイツの刑法の条文との比較研究であり、「ドイツ理論でなければ刑法理論ではない」と主張される研究者もいるほどです。ただし、因果関係論は条文解釈に基づくものではありません。日本の刑法はドイツの刑法を参考にしているため、条文解釈で比較の対象とすることは当然ですが、因果関係論の立場・考え方までドイツの刑法に縛られる必要はないと思うのです。

また、法律は「英米法系」と、ドイツをはじめとする「大陸法系」に分かれ、英米法ではドイツの立場である客観的帰属論とは異なる「判例法主義」という立場です。要は、日本国内での判例から生まれた「危険の現実化」の考え方は判例法主義の性質を持っているのです。だからこそ私は、英米法における判例法主義の因果関係論を研究することに意義があると考えています。

『因果関係論と危険の現実化』(成文堂・2024年3月)。
英米法の因果関係論と日本の刑法における因果関係論の比較研究の結果がまとめられている

法律を学ぶことは自分を守ることにつながる

私は現在、「違法収集証拠排除法則」という法則の研究も進めています。この法則は、捜査機関が違法な方法で得た証拠は、裁判における証拠としては認めないという法則。例えば、GPSを使った捜査に関しては法整備が進んでおらず、合法か否かの線引きは早急に考えるべき問題です。捜査の透明化は進みつつありますが、まだまだ自白を強要するような威圧的な取り調べも存在するようですので、捜査のあり方まで踏み込んで研究したいと考えています。

このテーマは多くの方にとって身近ではないかもしれません。ただ、私たちは法律というルールの下で成立している法治国家で暮らしていますので、法律を学べば、その社会の仕組みがわかり、人生を円滑に過ごすための知識と、自分を守る術も身につきます。近年はさまざまな詐欺被害が出ています。法律の知識があれば詐欺だと判断できる可能性が高まるものの、知識がないと「法的措置を取る」という言葉に慌ててしまうのです。法律を学び、世の中に存在する事件や犯罪について知識を持っておくだけで、似たような危険が迫ってきた際に心づもりができるのです。そのような意味でも、法律は身近な存在であり、自分自  身を守るためにも必要な学びなのです。